自らの生を新しく深くするために 作った句がその人のその時の全人格のあらはれなのである。句を鍛へることは、人格を鍛へることと別個ではあり得ない。実利には程遠い俳句が私たちを惹きつけてやまないのは、まさにこの一点にあるのではないか。